2011年7月31日日曜日

石巻川開き祭り-供養祭・灯篭流し-

震災から5ヶ月が経とうとしています。
7月31日・8月1日、石巻市の中心街で「川開き祭り」が行われました。
このお祭りは、1916年から続く伝統行事です。
震災で大きな被害を受け、当初は開催が危ぶまれいたそうですが
犠牲者への鎮魂、そして復興への想いを込めて開催されました。


東日本大震災供養祭

夕方から始まった供養祭では、震災で亡くなられた3149人の名前が
沢山の住職によって読み上げられました。住職の低い声が心臓に響き、
心が痛く、この時間がやけに長く思えました。この日集まった人々の姿、
そして空気と香りはずっと忘れないでいようと思います。

【写真】灯篭流し  






Report:Nakagawa
Photo: Nakagawa, Tomohiro

2011年7月28日木曜日

ミサンガプロジェクト

5月下旬より進めてきた「ミサンガプロジェクト」
ようやく形になってきましたのでご紹介したいと思います。


漁業網の補修糸でミサンガを作るということ

今回の震災で東北沿岸部は壊滅的な被害に見舞われました。
家・船・漁業施設(桟橋・作業場など)を失い、海には瓦礫が沈み、漁業は中断を余儀なくされ
多くの漁師、そしてその家族たちが不安を抱えることになりました。私たちが活動している
石巻市雄勝町・牡鹿町の漁業関係者も例外ではなく、深刻な被害に呆然とされるばかりでした。

震災から2ヶ月が過ぎる頃、漁師さんは漁業再開に向け海や浜の瓦礫撤去を始めました。
女性たちは、瓦礫撤去に出れないながらも、せめて漁業に関連したツールで生活を再出発
させたいと考え、魚網『漁業網の補修糸』でミサンガ作りを始めました。


ミサンガの材料は100%漁業網の補修糸を使用しています。
漁業を修復する・あらたな生活を再出発する、そんな願いと想いをこのミサンガに編み
こんでいます。本来のミサンガには切れることで願いが叶うと意味付けされていますが
この魚網のミサンガはあえて「切れないこと」に価値を置いています。
つまり、マイナスな状況から、生み出した絆や結束力、新たに出会えた支援の輪を大切
にしてゆくこと、それは「強い絆」を表現しています。

今後の展開 


このミサンガは下記の販路を経由し販売が決定しました。

マザーミサンガ(雄勝町名振)
@石狩市灯りのイベント(北海道)
@石狩市ビアガーデン(北海道)
@ライジング・サン ロックフェス(北海道)
@暮らしカフェ-建築家と創作作家のコラボ展示-(東京都)
@リメンバー東北祭り(東京都)

牡鹿町鮎川漁協女性部ミサンガ
@モンスターバッシュ(香川)
@リメンバー東北祭り(東京都)

今後の展開を暖かく見守ってくださるよう、どうぞよろしくお願いいたします。

Report:Nakagawa

2011年7月26日火曜日

週末ボランティア

作業は次の通りです。

23日
木の屋石巻水産での缶詰洗浄

24日
雄勝町大須にて民家の片付け
雄勝町船越にて民家の片付け
荒浜の清掃

25日
荒浜の清掃

参加チーム
・ガクツナ
・Last One Mile
・トモノテ
・雄勝町の青年

しばらく瓦礫清掃していた荒浜の海は、先日の台風により海から流木やゴミが上がって
きてしまいました。長い時間がかかったとしても美しい荒浜が見たいです。
今後ともご協力を宜しくお願いします!!

流木の撤去作業 荒浜にて




ガクツナの皆さん

2011年7月13日水曜日

登米産コシヒカリと雄勝町仮設住民をつなげる     プロジェクト

登米市で生産されたお米を避難所・仮設住宅へ届ける

このプロジェクトは
「物資配給が終了する仮設住宅へ何かを届けたい!」
と、Hands On Tokyo (http://www.handsontokyo.org/)の方が声を上げて
くださったことがきっかけとなりました。

被災された方のご実家(登米市)で生産されたお米をHands On Tokyo さんが ご購入くださり、
それを、雄勝町内の避難所と仮設住宅へお配りさせて頂きました。

登米市の農家さん・避難所にいる方・仮設住宅にいる方・ボランティアしてくださった方々
みんなが笑顔になれるプロジェクトでした。

360℃に広がる広大な農地(登米市)

-Hands On Tokyo によりデザインされた米袋-
ボランティアさんの手により5kgずつ丁寧に
この米袋に包装されました。         


お米が作られている水田で、農家さんの想いを聞きました
雄勝町に配る実際のお米で握ってくださったおむすび
田んぼのど真ん中で食べるお握りは最高でした!  
ありがとうございました。                 



農家さんのご自宅で頂いた昼食

このプロジェクトの中心であった Hands On Tokyo の皆さん、炎天下の中
本当にお疲様でした。
農家の三浦さん、多大なるご協力を心から感謝いたします。